ひつじさんぽ

30代夫婦のシドニー暮らし × 留学・英語 × ワイン

アラサー夫がオーストラリアの大学院への留学を決め一人で渡豪したおはなし

 

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私は、夫が取得した卒業生ビザ(オーストラリアの大学院を卒業すると2年間就労可能)のパートナービザでシドニーに暮らしています。(その後、卒業生ビザ終了時に会社がスポンサーとなってビジネスビザを出してくれました。)

30歳を目前にした夫が一人で渡豪するまでの、我が家の道のりを振り返りました。時は2015年の初めまでさかのぼります。

 

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留学を決めたきっかけ

お付き合いを始めた頃から、夫は「留学したいな~しようかな~」というような発言をよくしていました。自分の夢を叶えるためには海外経験は必要だと。結婚する前に「本当に留学しなくていいの?」と聞きましたが、夫は結婚を選びました。

結婚して一年が過ぎ、「車買う?家どうする?子どもは?」という話題が出始めた頃、もう一度尋ねました。「本当に本当に、留学しなくていいんだね?」と。

私は少し後ろめたかったんです。夫は少し年下なので、本当はもっとチャレンジできるんではないかと。留学は必要なことだと考えているのに、私が足かせになっていたら嫌だなとも思いました。それにこの先「あぁ、あの時海外に行っていれば…」と後悔しながら生活していくことになったら、全く幸せじゃないと思いました。

これからどう生きたいか、自分たちにとって何が大切か、何度も話し合いふたりの決意を固めたのが2015年の初めです。

 

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どうしてオーストラリアに決めたのか

夫の専攻は日本では学べる学校がなく、名門校はスイスにあります。ですがスイスの学校に入学するには、英語力もお金も時間も、何もかもが到底足りませんでした。

そこで色々調べ、学費、通学年数、取得できる学位、ビザ、生活のしやすさなどを総合的に判断し、シドニーのある学校に目標を決めました。

 

留学のための英語勉強と準備期間

留学を決めた時から出発までは一年半かかりました。

夫は仕事と並行しながら夜も遅くまで猛勉強していましたが、留学に必要な英語のスコア(TOEFL iBT)は思うように上がらず…。年齢的にもここで長居はできないと思い、見切り発車の状態でオーストラリアに行ってからスコアをあげて入学する方法も調べました。

そして勉強を続けながら、向こう6年間の計画表を作成。大学院の入学月、学生の期間、卒業生ビザの期間、日本に完全帰国する日程等と、夫と私の年齢も入れた人生計画表です。その結果、2016年7月を出発最終期限と設定しました。

出発までにはスコアも上がってきましたが、そのまま入学しても絶対授業についていけないので、半年間の語学学校を申し込みました。 

 

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留学費用について

留学費用はもろもろ500万円以上かかっています。私たちの仕事は、お給料は決して良いとは言えませんが、家も車も持たず質素に暮らして貯金はなんとかできていました。

貯金はなくなるけれどなんとか生活していける計算ができたので、ぱーっと払いました。形に残らない経験にお金を使えるという価値観が同じだったので、この金額には後悔はありません。

将来のリターンも多くは見込めませんが、人生計画表に帰国後の昇進計画をちゃっかり入れていた夫に期待してみましょう。

 

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両親の説得

私にとって家族の説得が一番大変で、本当に心苦しい思いを何度もしました。
私たちは共に、ごく一般的な家庭で愛情いっぱいに育ててもらいました。父が一家の大黒柱、母はパートタイムで働きながら家を整え…という普通の家庭。現在、家族の形は色々あるとは言え、一般的な家族像だと思っています。そんな私たちの親が、まもなく30歳になる夫婦ふたりの決意を理解できなくても当然のことです。

まず夫の両親は、「結婚したのにそんな勝手なことは許されない」と断固反対。そして「今からそんなことして何になる」とも言っていました。仕事をしつつ一生懸命勉強を続けていた夫にはきつい言葉だったと思いますが、私たちのことを本気で思って言っていることはよく分かっています。

私たちは、金銭的な事も含めそれぞれの場所でしっかり生活する方法、何を目指して何を得に行くのかという未来の計画、ふたりで決めた道だからふたりの責任であるという決意を伝えました。

なんとか受け入れてもらいましたが、夫の父は出発の日になっても完全に賛成しているわけではなかったようです。こんなにも悩ませてしまい「あぁ、勝手なことをしてしまっているんだな」と本当に心苦しくなりました。

一方で私の両親は、心では思うことが色々あったはずですが、応援して送り出してくれました。母は「何歳になっても私たちの子どもだけど、どう生きていくか口を出せることじゃないから」と。父は「現地の人たちに、〇〇がいないとダメだって引き留められるくらい大きくなれるように頑張って」と。

2年半の学生生活が終わった2019年3月、夫の両親と私は卒業式出席のためシドニーまでやってきました。ここで一区切りようやく晴れの姿を見せることができ、夫はとても嬉しそうでした。両親もオーストラリアの地でしっかり学んだ夫の姿を見て安心したようです。

厳しいことは言っても、いつも私たちを応援して見守ってくれる4人の親には感謝しかありません。

 

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会社を退職して夫がオーストラリアに旅立った日

出発の2週間ほど前、夫は新卒から6年勤めた会社を退職。応援してくれる人、理解できないという人、羨ましいと言う人、同僚や友人の反応は様々でしたが、その頃には周りの声など気にしていませんでした。

それよりも、日本に帰ってきた時「行って良かったな」と言ってもらえるように頑張る、と夫は話していましたし、行った事のない人にこの挑戦を分かってもらえなくて当然だと、私もさっぱり考えていました。

出発までの間、有難いことにたくさんの方が壮行会や送別会を開いてくれました。そして暴飲暴食をし、今のうちにと牡蠣や鰻をたくさん食べた夫は、出発の前日にお腹を壊して病院へ。私が看病どころか怒鳴り散らしたのは言うまでもありません。

羽田空港まで見送り、泣くのを我慢して自分のアパートについた時の喪失感はいつまでも忘れないと思います。「あぁ本当に行ってしまったんだ…」と、一人で暮らすこの先の生活を考えながら長い夜を過ごしました。

翌朝きれいな青空の写真が届き、夫のオーストラリア生活第一日目が素晴らしい日で本当に良かったと思いました。

 

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留学が正解だったかは分からない

世はこのような状況ですし、留学が正解だったかと聞かれたら答えはまだ分かりません。でも海外で学び、日本でない場所で暮らすという経験ができて、それだけで人生の夢や目標を一つ叶えることができました。

たくさん悩んだし勇気もいることで平坦な道のりではありませんでしたが、「案ずるより産むが易し」だな、と今は呑気に思えています。(頑張って勉強して大学院卒業したのは私ではないんですけどね…)

 

私たちの経験談がどなたかの勇気になれば嬉しいです!

 

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