3年3か月を過ごしたオーストラリア・シドニーからこのたび帰国しました。初めての関西での新生活をスタートさせています。
期間限定の海外生活は、不安や寂しさを抱えながらもやはりかけがえのない時間でした。この節目に過去のブログ記事と共に思い出を振り返ってみました。
2016年7月 夫がシドニーへ単身留学
日本での仕事を辞めて2年半学生生活をしていた夫。この頃の生活を振り返り、「あぁ、本当に貧しかった。」とよく言っています。2019年3月に大学院を卒業し、目標としていたマスターディグリーも無事修得。離れて日本で暮らしていた私も、卒業の2か月後にシドニーに引っ越しました。
2019年5月 私のシドニー生活スタート
友達もいないし、一年目はすごく寂しかったです。
語学学校にも通いました。
英語ができないせいで落ちるはずのない試験にも落ちました。
とにかく英語ができなくて泣く思いをしたり、暮らしを楽しむ余裕はあまりなかったように思います。
そんな私も今ではジャパニーズアクセントで恥じらいもなく話しますし、意思疎通ができればそれでいいと思っています。現在の「普段の暮らしにはまあ足りてる英語力」からもう一段上達させるには、再度気合をいれた学習が必要なことも自覚しています。
2020年3月 コロナパンデミックの始まり
予定していた一時帰国がキャンセルとなり、その代わりにと計画したタスマニア旅行の前日にロックダウン開始。ここから2か月ほど、くらーい日々が続きます。私は一時解雇となり職を失いましたが、運よく夫は仕事を続けられたのでそのままシドニーに残ることにしました。
ロックダウン直前にはキャンベラに行けました。
2020年4月 はてなブログを始めてみる
職も失った外出禁止の日々の中、以前からやってみたいなと思っていたブログを始めました。恥ずかしながら当時は「ブログで稼ぐ人」に憧れていたのですが、そんなに甘くないことにすぐに気づいたのと、気ままに書くことに楽しさを感じて今では日記と化しています。
2年ほどだらだらとブログを書いていたら、偶然私のブログを見つけてくれたオーストラリア在住の女性から連絡をいただき、「発酵おつまみとオーストラリアワインの会」という会を開催するに至りました。ただの趣味ブログが素晴らしい出会いへと繋げてくれた奇跡です。
2020年7月 エコな暮らしを始める
オーストラリア発祥の「プラスチックフリージュライ」という取り組みを初めて知り、使い捨てやゴミを減らす生活を始めました。生活用品を見直し、だんだん暮らしがシンプルに。オーストラリアは飲食店で食べきれなかったものを簡単に持ち帰れたり、容器持参の量り売りのお店が多かったり、ゴミを減らす生活がしやすいのも好きなところです。
日本の過剰な包装には改めて疑問を感じていますが、これからもできることから少しずつでも続けていきます。
2020年11月 ニューサウスウェールズ州オレンジへのワイン旅
この頃のオーストラリアは国境閉鎖中ではあったものの、国内の感染状況もひと段落していました。州内の「オレンジ」という小さなワイン産地へショートトリップ。その後もオーストラリア国内のさまざまなワイン産地へ訪れましたが、この「オレンジ」が一番思い入れがあります。
年明けにはハンターバレーにも行ったなぁ。
2021年4月 シドニー生活の延長を決意する
ここまでの計画では、2021年5月にビザが切れるタイミングで本帰国をすることになっていました。しかし当時日本のコロナの状況がかなり悪く、暮らしの落ち着いていたシドニーにもう少し留まろうか考え始めました。というのも夫の会社が、2年のスポンサービザを出してくれて、ビザの途中で帰国することになっても構わないという有難すぎるお話をくださったからです。
もうちょっとここで暮らしてみるか~という決断の数か月後、シドニーは106日間の第二次ロックダウンに突入したわけですから、もう何が良かったのかは分かりません。
2021年6月 念願のウルル旅行
世界の中心ウルルを見に行くことができました。視界に入りきらないほどの壮大な景色と、写真では上手く伝わらない自然の色彩の美しさが今も脳裏に焼き付いています。
2021年6月 シドニー2回目の長期ロックダウン
上記ウルル旅行から帰宅して数日後、デルタ株蔓延によるロックダウンがスタート。
美容室も閉まっていたので、夫の髪の毛を刈ったり、
晩酌の時間が増えちゃってお財布に響くから安ワインを探したり、
マジメにワインの勉強をしてみたり、
それはそれで充実した日々でした。ロックダウンも2回目となれば、周りのみなさんも結構慣れた感じでした。
2022年1月 南オーストラリア州ワイン旅
2021年10月に終了したロックダウンから年末までいそがしく過ごし、年明けに夏休みを取りました。夫に車を運転させて、南オーストラリア州のワイナリーを次々訪問する気ままな旅。終始酔っぱらっていたあの夏の5日間が恋しいです。
2022年5月 あと数か月で帰国することを決断する
もう一度今後の生活について考え、ビザの期限を一年残して帰国することを決断しました。のびのびと暮らしやすいオーストラリアの良さを十分理解しつつも、この国に永住するという決心はできなかった私たち。毎日どこかで日本や家族への恋しさを感じながら暮らすことに、やはり何か違うなぁと思ってしまいます。
2022年6月 インディアンパシフィック号に乗ってパースへ
オーストラリア横断列車インディアンパシフィック号に乗るという夢が叶いました。感動で胸いっぱいの4日間、一生忘れません。
パース到着後ももちろんワイン旅をしました。
2022年8月 最後の一か月は怒涛のスケジュール
オーストラリア最高峰のシラーズ『グランジ』を飲んだ夜
帰国月には有難いことにたくさんの送別会を開いてもらいました。その中でも特に忘れられないのが、『グランジ』を飲んだ夜のことです。今年に入ってから私たち夫婦とワイン会をしてくれていた方々が、帰国前の記念にと用意してくださいました。
1990年産のグランジは、見た目のきれいさとは違いコルクがポロポロでした。当日デパートにオールドワイン用のオープナーを買いに行くも、古酒文化のあまりないオーストラリアだからなのか手に入らず…。なんとグランジさまのコルクと瓶の間にカッターの刃を滑り込ませてはがすという、無礼で手荒い方法を取りながら抜栓。
32歳のグランジさまは、香り爆発、パワフルかつ妖艶、この先そう出会えるものではないなというバケモノ感がありました。感無量です。
その前のワイン会で飲ませていただいたBIN707も最高でした。
最後の国内旅行、タスマニアへ
世界一美味しい空気を食べにタスマニアに行きました。空気ももちろん美味しかったですが、ブルーニー島のビールとチーズ、オイスターが最高でした。行く先々のレストランも全てがハイレベルで、さすがオーストラリアの台所といった感じ。2泊3日だったのでホバート周辺だけしか行けなかったのが残念です。
シドニー最後の数日は、夫の最終出勤日の翌日からタスマニアへ行き、タスマニアからシドニーへ戻った夜の空港でPCR検査をして陰性証明をゲットし、その翌日に日本行きの飛行機に乗るという弾丸日程。一つ躓けば全て組み直しなギリギリのスケジュールでした。
その他に暮らしの中で印象に残っているのは、市内にあるブリュワリーが本当に楽しかったこと。特にマンリービーチの4PINESとマリックビルのWildflowerが好きで、帰国直前にも行きました。
それと、オペラを見に行くのも好きでした。
私たちのシドニー生活は…
英語が出来なくて苦労したり、現地で働いてみたり、あちこち旅行したり、私のシドニー生活は35歳からスタートしたワーキングホリデーのようだったなと思います。ただただ多忙だった日本での生活を離れて過ごした贅沢なロングバケーション。心が洗われるような大自然の景色をたくさん見たり、様々な国の人たちの自由な生き方を目にして、私もこれから何がしたくて何がしたくないか、何を大切にして生きていくかを自然と考えるようになりました。そして、どこにいても心豊かに暮らすための取捨選択ができるようになってきた気がします。
留学からスタートした夫も現地で働いて昇進もし、文化の違いに試行錯誤しながらたくさんの経験を積みました。日本でも希望の場所で職を見つけ、既に新しい仕事をスタートさせました。自由な人なので、せっかく引っ越してきたこの地にも長くはいないだろうと覚悟はしています。
シドニーでの最後の数週間がとてもエモーショナルだったので、すぐに恋しくなってしまうかなと心配もしたのですが、35年暮らした日本はやはり居心地がよくすんなり溶け込んでいます。日本到着日に天せいろとすきやき(+日本酒)を食べた瞬間、帰国したことを後悔することはないと確信しました。
それからこのブログはオーストラリアでの生活を綴るために始めたものなので、今後はどうしようかと考え中です。唐突ではありますが、これまで読んでくださった皆様に感謝の気持ちをお伝えします。本当にありがとうございました。
これにて、私のシドニーブログ『完』です!
ありがとうございました!